ロシア人貴族セルジュ・ド・ディアギレフ(注1)が創設したバレエ団。
バレエ団はオペラ・ハウスに所属するのが当然の時代にディアギレフ個人によって創設された世界初のプライベート、ツアリング・カンパニー。
フランス語でロシアのバレエ団という一般名詞「バレエ・リュス(Ballet(s) Russe(s))が1990年代まで彼らのカンパニーの事をさした事からもその影響力の大きさがわかるだろう。
1909~1929年の間存在し、バレエを「芸術」として復権させた存在。バレエ・リュスの登場によってバレエは芸術界・社交界の人達にとって「見逃せないイヴェント」となった。
全ての要素を一流の芸術家が手掛ける存在として「芸術」としてのバレエをゆるぎないものとした。
【セルジュ・ド・ディアギレフ】
跳んだまま降りてこなかったとまで言われたワツラフ・ニジンスキー、後に映画「赤い靴」にも出演したレオニード・マシーン、ニューヨーク・シティ・バレエ団を創設したジョルジュ(ジョージ)・バランシンらを輩出。男性スターの活躍するバレエという意味でも斬新な魅力を振りまいた。
女性メンバーも魅力的で1922年来日したアンナ・パヴロワも創設メンバー、タマラ・カルサヴィナはバレエ・リュス最強の女性スターとして活躍。カルサヴィナは英国バレエの基礎を作るなど世界中のバレエ史はバレエ・リュスの存在なしに考えられない。
パリ、モンテカルロ、ロンドンを中心としたヨーロッパ、アメリカで活動したがその影響力は日本を含む世界に広がっている。
約64作品が上演され、そのほとんどが初演作品。振付家ミハイル・フォーキンによる『レ・シルフィード』『薔薇の精』『シェエラザード』『ペトルーシュカ』は今でも世界中で上演されている。ニジンスキー振付『牧神の午後』『春の祭典』はバレエを根本から壊しかねない力を秘めた作品で現在も再現上演が行われている。
(注1)
フランス語表記:Serge de Diaghilev
ロシア語表記:
(セルゲイ・パ―ヴロヴィッチ・ジャーギレフ)
セルジュ・ド・ディアギレフ
スウェーデン貴族、ロルフ・ド・マレ(Rolf de Maré)が創設したバレエ団。
バレエ・リュスの影響を受けて結成された多くのカンパニーの中でもディアギレフが脅威と感じたほどの斬新な作品と、スウェーデンの大地主貴族でもあるマレの潤沢な費用によって活動したカンパニー。
バレエ・リュスに倣う形で、名称も「スウェーデンのバレエ団」を意味する普通名詞、バレエ・スエドワ(Ballets Suédois)をカンパニー名とした。
【ロルフ・ド・マレ】
パリ、シャンゼリゼ劇場全部を7年間の契約で借り上げて本拠地とし、世界中で公演を行った。
1920~1925年という短い活動期間ではあったが、1920年代らしい黒人文化やジャズ、映画といった新しい芸術要素を貪欲に取り入れた極めて前衛的な作品で世界に知られた。
ミハイル・フォーキンの教え子でもあるジャン・ボルランが唯一の振付家、ダンサー、バレエ教師として活動。
1920年の初演にはパリ中の芸術関係者並びに社交界のメンバーが勢ぞろいし、バレエ・リュスよりも新しいと当時評された。
僅か5年の間に26作品が初演。スウェーデンの民族舞踊をモチーフとした作品、タイの踊りやトルコの旋回舞踊をモチーフとして『ディヴァーシュ』、絵本画家として知られるアンドレ・エレが美術・衣裳を手掛けた『おもちゃ箱』、立体的な衣裳を身に着けダリウス・ミヨーの音楽で上演された『世界創造』などそれまでにない感覚のバレエ作品を上演。絵画コレクターだったマレのコレクションに想を得た『エル・グレコ』、ジャン・コクトーが台本を書き日本でも堀口大学による翻訳が知られる『エッフェル塔の花嫁花婿』、藤田嗣治が初めて、美術・衣裳を手掛けた『奇妙なトーナメント』等初演。フェルナン・レジェが美術・衣裳を手掛けた『スケーティング・リンク』やバレエの一部として初めて映画が撮影され使われた『本日休演』も衝撃をもって受け取られた。
バレエ・リュスが挑戦しなかったほどの新しい芸術運動を取り入れた上演で知られたが、振付家が一人だったことの無理もあり、その活動は惜しくも5年で終了することになった。しかし、その後もマレは世界初のバレエ・コンクールやダンス・アーカイヴの活動を展開するなど勢力的に活動を続けた。
ロルフ・ド・マレ
目的 |
当法人は、日本のバレエ史上、欠かすことのできない存在であるバレエ・リュス及びバレエ・スエドワの普及を目的として、次の事業を行う。
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設立時メンバー |
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所在地 | 〒604-8174 |
1964年生まれ。おとめ座。
株式会社永楽屋 代表取締役社長
一般財団法人 細辻伊兵衛美術館 館長
一般社団法人 日本バレエ・リュス&バレエ・スエドワ協会 代表理事
四条繁栄会商店街振興組合 理事
智恵光院檀家総代
袋中庵檀家総代
京都伝統産業青年会直前会長
高校時代は卓球でインターハイに出場。
自動車メーカーのエンジニアを経てアパレル業界へ転身。
「Yin & Yang」ブランドプレステージショップの店長を経て、独立を果たす。
株式会社永楽屋入社。
代表取締役就任。
代表取締役社長就任。
十四世細辻伊兵衛襲名。
永楽屋初となる店舗展開をスタート。
以降、精力的に改革を行い京の老舗型SPAを確立
永楽屋初の飲食事業となる「ほそつじいへえTEAHOUSE」を祇園にオープン
永楽屋創業400年を機に、東京青山スパイラルにて自身初となる個展「14世・細辻伊兵衛手ぬぐいアート展」を開催し好評を得る
同年、京都でも個展を開催(京都髙島屋1Fゆとりうむ)
九州初開催となる個展「14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート展」を福岡
天神イムズにて開催
14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート『あっぱれ滝桜』展を開催
京都伝統産業青年会 会長に就任。
14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート『寿~把~屏~風~(ス~パ~ビョ~ブ~)』を発表。
14世・細辻伊兵衛てぬぐいアート『絢爛屏風「祇園祭山鉾図」』発表
京都髙島屋1Fゆとりうむにて、世界的に活躍する具体美術協会のラストメンバー森内敬子による、長刀鉾を描いた作品をもとに制作した手ぬぐい「長刀鉾・赤」「長刀鉾・金銀」を発表。
ほそつじいへえTEAHOUSE supported by MLESNAにて『永楽屋 14世・細辻伊兵衛×森内敬子「縷 Lu -如来に捧げた善の糸-」』と題し、具体美術協会のラストメンバー森内敬子による作品「縷Lu」など、合同展示を開催
永楽屋が所蔵する江戸・明治・大正・昭和・平成・令和6時代の手ぬぐいを展示する「細辻伊兵衛美術館」を開館。館長に就任。
日本バレエ・リュス&バレエ・スエドワ協会を設立 初代代表理事に就任
明治大学大学院文学部演劇学専攻博士前期課程修了(バレエ・リュス論文で文学修士号取得)。
「バレエ・リュス」、「バレエ・スエドワ」を専門として、研究、執筆活動を行う。
1998年のセゾン美術館における『バレエ・リュス』展での仕事を皮切りに、舞踊史研究家として執筆、講演、展覧会監修等を行うようになる。雑誌、新聞、プログラム、機内誌等各種媒体への執筆活動と共に、そのエレガントでアグレッシブな独特の語り口による講演の人気も高い。
5年間にわたって薄井憲二邸での資料整理に携わり、それらが国内最大規模を誇るバレエ資料「薄井憲二バレエ・コレクション」として兵庫県立芸術文化センターに収められた際にチーフ・キュレーターに就任(2005年)。2014年まで務め、同センターにおける年2回の企画展および6回の常設展、ならびに他の美術館とのすべての共同事業を実施、3巻までの目録を作成・刊行。
以後も多数の展覧会に関わり、2022~2023年「パリ・オペラ座―響き合う芸術の殿堂」展の企画メンバーとして、企画、執筆、コレクション出品、講演、会場でのダンス・ドラマトゥルクも行った。
『ICON~伝説のバレエ・ダンサー ニジンスキー妖像』(講談社)
『バレエ・ヒストリー~バレエの誕生からバレエ・リュスまで』(世界文化社)
『バレエ・リュス その魅力のすべて』(国書刊行会)ほか。
最新著書は初版から9年目の改訂版『ビジュアル最新版バレエ・ヒストリー』バレエ史入門《バレエ誕生からバレエ・リュスまで》(世界文化社、電子版あり2023年)
https://www.sekaibunka.com/book/exec/cs/23222.html
青森県立美術館 パフォーミングアーツ推進実行委員会副委員長
新国立劇場バレエ研修所(バレエ史講師)
K Ballet School TTCコース(バレエ史講師)
日本文化デザインフォーラム(JIDF)幹事
日本ダンスフォーラム(JaDaFo)会員